80年代前半の野球の紹介!
みなさんこんにちは🌞
昭和ノスタルジーです!
今回は、80年代前半の野球をご紹介しましたが、YouTubeの方はご覧いただけたでしょうか??
まだの方は是非チェックしてみてください🤲
80年代の野球は、華のあるプロ野球選手が多いですね!私も動画を作っていて、当時の野球をとても見たくなりました。(笑)
私が特に好きな選手が原辰徳選手、清原和博選手です。(現役選手・まだ引退して時間が経っていない選手を除いて(笑))
なぜ、原辰徳選手が好きかというとWBC2009の監督をやられており、当時小学生だった私は、前回優勝して重圧がかかる中、2連覇してスゲー!カッコイイという感じで好きになりました(笑)
清原和博選手が好きな理由は、珍プレー好プレーでの乱闘やとんねるずがやっていた男気ジャンケンに出演されていて好きになりました!清原和博さんの解説はとても面白くて私は大好きです💪
最近は、他チームの選手同士が仲が良くて乱闘騒ぎなどが起きませんね(笑)仲がいいのが1番なのですが、私としては一度乱闘をみてみたいという気持ちもあります😀
ここからは、1980年から1984年についての出来事を紹介しています!
1980年
この年は、世界のホームラン王の王貞治選手の現役引退・生涯一捕手の野村克也選手の現役引退・ミスタープロ野球こと長嶋茂雄監督の辞任(その後1992年に監督復帰)と1980年を区切りにプロ野球のひとつの時代が終わった瞬間でもありました。
また、この年は張本勲選手と前人未到の3000本安打達成・堀内恒夫選手の200勝達成・スイッチヒッターとして初となる2000本安打を柴田勲選手が達成するなどの記録が生まれました。
ちなみに、松坂世代が生まれたのがこの年です。
1981年
張本勲選手の現役引退がこの年でした。今では喝!!のイメージが強いですが、歴史に名を刻む選手だったのは間違いないですね(笑)
そして、2020年現在巨人の監督である若大将こと原辰徳監督がデビューした年でもありました。長嶋茂雄と王貞治の後継者として、大いに期待されました。その期待に応え見事新人王を獲得されています。この年の巨人は、長嶋茂雄監督に変わって指揮をとった藤田元司監督が8年ぶりにジャイアンツを日本一に導きました。
また、落合博満選手がレギュラーに定着。初のタイトルとなる首位打者を獲得。翌年史上最年少となる3冠王に輝きます。
話は変わりますが、珍プレー好プレーで、今でもよく見る宇野勝選手のボールがおでこに直撃する事件はこの年に起こりました(笑)
1982年
落合博満選手が史上最年少で、3冠王に輝きます。打率.325、32本塁打、99打点という数字に対して数字の低さによる批判がありました。のちにその批判すらもさせない圧倒的な数字で3冠王に輝いています。
また、この年から西武の第一次黄金時代がはじまります。広岡達朗監督が采配をした。82年に初のリーグ優勝・日本一、83年に130試合86勝リーグ2連覇・2年連続の日本一、84年こそ、ベテランが不振で3位に終わるも、85年は日本一は逃すも2年ぶりのリーグ優勝をしています。
健康上の理由でこの年で監督を辞められています。86年から、森祇晶監督が西武の第二次黄金時代を築き上げます。
1983年
KKコンビPL学園入学!KKコンビとは、桑田真澄と清原和博の頭文字をとった2人を指す名称です。
投げては、桑田真澄選手が甲子園通算で20勝3敗。
打っては、清原和博選手が甲子園通算で打率.440本塁打13本です。
今後KKコンビを彷彿とさせるチームが出てくれることを期待しますが、なかなか厳しいそうです。それほどにKKコンビは凄く、プロでも大活躍します!
また、この年のパ・リーグ限定で採用されたプレーオフ制度は、今とはすごく異なるものでした。
その内容とは、シーズン終了時点で1位と2位の差が5ゲーム以内であれば、5試合のプレーオフを行うという変則的なものでした。しかし、この年以降、大差での優勝が続いたため、1度も開催されることなく3年で廃止になりました。
そして、愛称は鉄人でお馴染みの衣笠祥雄選手の2000本安打達成や、カミソリシュートでお馴染みの平松政次選手の200勝達成、(初代2刀流??(笑))堀内恒夫選手の引退、王貞治が巨人の監督に就任がこの年に起こりました。
1984年
山本浩二選手は現役引退後も広島の監督を2度やられており、現役引退してもなお、広島カープに貢献していたことがわかりますね。
また、山本浩二選手は、広島県出身で広島以外にドラフトを指名されれば断り場合によっては、サラリーマンになることも考えていたそうです。広島愛がすごく伝わってきますね。
この写真は、今プロスピで使われてますね!
この年ブーマー選手が外国人初の三冠王に輝きました。三冠王の獲得者のうち、3部門の数字が他方のリーグタイトル獲得者と比べても1位であるのは、1973年の王貞治選手と1984年のブーマー選手のみです。
この年の成績が、打率.355、37本塁打、130打点です。素晴らしいの一言ですね(笑)
カミソリシュートの異名を持つ平松政次選手の2000奪三振&現役引退と田淵幸一選手の現役引退がこの年でした。
平松政次選手は打倒巨人に燃え巨人キラーとしても活躍しました。あの長嶋茂雄が、「寝てもさめても平松のシュートは頭から離れなかった」というコメントを残すほどでした。
田淵幸一選手は天性のホームランアーチストでした。あの王貞治選手の14年連続本塁打王を阻止したの人物です。怪我も多く、怪我をしなければホームラン通算474本を優に超えていたのは間違いないないはずです。
84年のホームラン王の争いをしていた掛布雅之選手と宇野勝選手に珍しい記録が生まれました。
掛布雅之と宇野勝が、10打席連続四球を受けました。お互い37本でホームラン王になっています。
まとめ
今回は、第1弾ということで80年代前半の野球についてご紹介させて頂きました!
スター選手が沢山いてとても楽しい時代だなと改めて感じました!
好評ならば80年代後半の野球もご紹介したいと思います!
YouTubeの方もよろしくお願いします😁
最後まで見て頂きありがとうございました😃